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勝手に開花宣言
花粉症
水彩画とは染みである
風景画
今年の個展は風景画でいこうと思っている。そこで、一つ描いてみた。(サイズは20cm×15cm)
うーむ、色合いにしても雰囲気にしても、これでは去年の原風景展と同じではないか…。というわけでボツ。個展には出しません。
今回は、もっと普通の近所の路地をサラサラっと描いたような風景画をやりたいと思っている。だから、ペンの動きがわかるような線と、にじみを生かしたラフな感じの彩色にする。
ランプ
6月に個展します
イメージバトン
去年、sack_lunchさんからイメージバトンというものをもらっていたので、年越しちゃったけどまわしてみようと思います。
イメージバトンについて詳しくははてなを参照。
海→ブルー→サッカー日本代表チーム→ドイツ
<中略>
→フカヒレ→春雨→春麗(チュンリー)
と来たようです。
ゲームはあまり知らないので字面から高麗というか朝鮮をイメージ。
というわけで僕の連想したキーワードは「朝鮮」。
バトンをまわす三人は、ヘイチさん、daiさん、ケイツケさん。
まあ、面倒だったらスルーしてもいいですよ。
普段ならスルーしてそうな僕がなぜバトンをまわしてるかというと、暇だからです。というか、忙しいはずなんだけど、熱が39度くらいあって家にいるので暇なんです。
のど痛いし頭痛いしあんまやる気ないです。
やる気のないときしか更新しないこのブログも相当やる気ないですが。
ガラムマサラ
いつも昼時には行列ができているので何年もまえから食べてみたいと思いつつ一度も行ったことのなかったガラムマサラというインドカレー屋さんに友達と行った。有名な店らしい。
僕が店に入ったときの状況はこの写真と同じような感じだ。おばあちゃんの流れるような前口上を聞かされている右の客は東京から来たらしい。これを食べにわざわざ新幹線に乗ってきたそうだ。
「はい、そこの隅の席に座って。男前さん初めてか。はい、これメニュー、今説明するからちょっとまってて。」と、口を挟む間もない。そして、上の客にガラムマサラというインドカレーの粉の説明を続ける。
で、我々にメニューの説明。「これ、うちの一番のおすすめがチキン。ビーフも味は同じ。これを知らずしてガラムマサラは語れない。どこでもマネのできない味。だから東京から新幹線で食べに来る。で、人気があるのがキーマ。はいこれ。雑誌にも載ってる。この写真ここの写真でしょ。みればわかる。だから、最初だったらチキンかキーマ。はい。考えといて。」といった感じ。僕はチキンカレーを、友達はキーマカレーをたのむ。
チキンカレーが先に来る。「うちのカレーはじっくり煮込んであるから、ぶっ掛けるとべちゃっとなる。絶対にぶっかけたらいけない。わかった?」「はい…。」
次にキーマカレーが来る。「まず最初に二口、もとの味で食べて、次に中に卵があるから、それと混ぜて食べる。」「そうなんすか。」と友達、カレーの中の卵をつつこうとすると、「こら!話は最後まで聞きなさい。」いきなり叱られた。「他の店と違う、ガラムマサラのキーマカレーはひとつでふたつの味。もとの味でたべてから混ぜた味を食べる。味がまろやかになるから。わかった?」「はい」「ぶっかけたらあかんで。わかった?」「はい」
カレーはとても美味かったし、おばあちゃんにも叱られたし、満足。
ガラムマサラについて詳しくは以下のようなサイトを参照ください。
http://www.galu-kyoto.com/shop/0007_garam/
http://homepage.mac.com/hiro_hon/4/4-035/4-035.html
紅葉に初雪
百円均一の店に行くとよく思うのだが、結局何の役にも立たないものが多すぎる。
しかし、僕は芸術家として、「役に立たないところに価値がある」と常々思っている。つまり、芸術というのは役に立たないのに価値があるものであるというわけだ。
家に絵が飾ってあっても部屋の空気が綺麗になるわけではないし、暖房の効きがよくなるわけではない。彫刻が置いてあってもお湯が沸くのが早くなったり、ケータイの電波が入りやすくなったりするわけではない。
工芸品となると「用の美」など、事情はちょっと変わってくるが、それでも高価な皿や壺は滅多に使用されない。価値のあるものほど役には立たされないのだ。役に立たないものにこそ価値がある。
そういうわけで、百円ショップの役に立ちそうにないものたちにはいろいろ心を惑わされる。およそ役に立ちそうにないカードたてや、箸置き、フォトスタンドなど、つい買ってしまったりする。実際こいつらは驚くほど役に立たないのであるが。
で、この前も百円屋さんで役に立たないものを物色していたのであるが、カードたてなどのならびにひときわ目を引くものが。三角コーンの土台を斜めに切ったような高さ5cmほどの木製の物体。文鎮にしては軽すぎるし、箸置きにしては転がりすぎる。まったくもって用途不明なモノだ。ついでに言えばこれで100円は高すぎる。
しかし、この役に立たなさ加減は芸術の域に達している。というわけで、僕はこのオブジェを買った。いま机の上にそれがある。
これを見るたびに、「役に立たないものにこそ価値がある」という僕の思い込みは増強されていくだろう。
古本屋の前
愛用しているデジカメ、Nikon Coolpix3100のファームウエアがアップデートれていることに気がついた。しかも、去年の12月にリリースされている。
一年も気がつかないとは…。
このデジカメは中古で買ったせいか、もっぱら道具として使い倒すことにしかエネルギーを用いていなかった。そういうわけで、去年の6月から所有していながら、一度もCoolpix3100というキーワードを検索してみることすらなかったのだ。
で、検索してみたら、「ちゃんと持てて、ちゃんと撮れる」というキャッチコピーで売られていたという過去や、製造が終了しメーカー在庫もなくなったという現在、一度しか行われなかったファームウエアアップデートを発見したというわけだ。
もちろん、すぐにダウンロードしてアップデートしてみた。
何がしかの不具合が修正されたらしいが、もちろん見た目が変わるわけではないし、操作性も別に変わったところはないようだ。なんだか、物足りないというか、つまらん。メニューのデザインが劇的に変化したり操作系統が変更されたりしないのだろうか…。するわけないか。